印象の話

 フワッとした印象でキャラの方向性、風潮が作られてしまうことが多々ある。実際はそんなことないのに「そういうことありそうだよね」という感覚が多数によって共有され、あたかも真実のように蔓延ってしまう。

 

 例えば、ラブライブ!における絢瀬亜里沙。彼女はいわゆる「海未推し」として描かれることが多いが、その実、園田海未個人を推している描写はない。絢瀬亜里沙が夢中だったのは一貫してμ’sというグループであり、それがμ’sの転機にもなった。それでもなお亜里沙が海未推しといわれるのは、シナリオを進めるためのキーマンとして海未が選ばれたからである。おそらく、亜里沙が最初に出会ったのがことりであれば「亜里沙はことり推し」、穂乃果であれば「亜里沙は穂乃果推し」という風潮が出来上がっていたと思われる。詮無きことであるが。

 こういった事の困るのはある種の真実を含む場合があるところだ。

 高坂穂乃果は怠け者のように描かれることがある。事実であり、間違いでもある。穂乃果は基本的に「楽しくないこと」を忌避する傾向にある。故に勉学やら雑務やら、そういうのを遠ざけることが多々ある。それを差して怠けていると称するのは(年齢を鑑みてその言葉が強いことはさておき)事実である。

 反面、「楽しいこと」に関しては驚くほどにストイックになる。スクールアイドル関連であれば寝坊はしないし、サボることも考えられない、という描写は度々出てくる。それでもなお怠け者といった印象がぬぐえないのは、他の楽しいことを優先することも多々あるからだろう。穂乃果自身は割と真面目な人間である。

 

 

 というのを主張したとして、大多数の人間にとってはどうでもいい話なのだが。多くの二次創作で求められるのは原作の再現性ではなく「それっぽさ」である。

 が、まぁ二次創作をするのであれば一次ソースはしっかりと把握しているべきだと思うので、個人的には気をつけたいところである。